記録保存
ポラン広場北海道 夜明け前 … ポラン広場北海道10周年(宮沢賢治生誕100年の年)に寄せて  1966年9月
初代ポラン広場北海道・HAVE札幌市場代表 滝沢修

滝沢修氏のプロフィール
1947(昭和22)年青森県下北郡三沢村生まれ。唐十郎主宰状況劇場「赤テント」で演劇を始める。札幌に劇団「極」を旗揚げする。現在、札幌を中心に数々の公演を精力的に行うほか、TPS(シアタープロジェクト札幌)にても俳優・演出として活躍中の札幌を代表する演劇人。粘り強い演出と不思議な存在感を放つことでも有名である。1980年代、劇団「極」の稽古・公演と二束のワラジでポラン広場北海道の開設に尽力した。

そのあの日、ポラン広場の強者が北の地に降り立ったのはポラン広場北海道が生まれる一年程前だったろうか。
彼らは「有機農業の畑を拡げようキャラバン」の看板を背負い、札幌のとある八百屋に向かった。

その八百屋の丁稚、私めもまた、有機農業の拡がりを夢見ながら、朝もハヨからカンテラさげてなぃ、野菜の集荷。
店に入るとキャラバンシューズを履いた挙動不審の男が足をさすりさすり立っているのを発見。すわドロボーか!?

「心配ご無用だ、ご苦労さん、僕らは元気なキャラバン隊ですぅ」とのたもうた。

「あんたら噂に聞くポラン広場の人々か?」と聞くと 「そなたソナチネ?」と返ってくる。
間違いない、こんな返事の仕方をするのはポラン広場だ。

「空港から歩いてきたんだ」

「千歳空港から?」

「あ〜あ、そうだよぅ、アカシアあ〜の〜花が咲いてる〜」。

恐ろしい人たちだ。貧乏と根性で鍛えた足とはいえ五十キロの道のりを歩いたとは。

これが垂れ目の丁稚と眼光鋭いポラン広場の強者との出会いであった。
これから何かが始まる。そう思った……。陽は中天を過ぎていた。

「丁稚君、蕎麦でも食おう」。私が無類の蕎麦好きだと彼らは何故か知っていた。

狩野氏「どうだい丁稚君。有機農業をもっと拡げようではないかいな!」

丁稚「はあ、結構なことですが…」

神足氏「うむ!」

狩野氏「夢はでっかいどう、北海道!」

神足氏「チャンスはやってくるのではない、やるのかやらないのか?やらないのかやるのか!
(蕎麦を喉に詰まらせる丁稚)
うむ、時は時にして時々で時でありますねえ!」

丁稚「?@#%$&!」

狩野氏「蕎麦はおごるよ、好きなだけ食いたまえ」

(水をがぶがぶ飲む二人)

丁稚「あなた達は?」

狩野氏「ロマンで腹が一杯なんだ」

神足氏「物理的空腹と精神的空腹は時間と空間の関係性に似ている」

丁稚「*$#) $?」

狩野氏「僕たちは食いたくないの!金の事は心配はするな」

(蕎麦をむさぼり食う丁稚)

− 中略 −

狩野氏「心配するな、任せておけ、全面的にバックアップするよ」

神足氏「うむ、広葉樹と針葉樹の間には深くて暗いブラキストン線(※)がある」

丁稚「?*&%&?!……」

狩野氏「ロマンだロマンだ」

私はこあがりの隅で蕎麦を喉に詰まらせながら頷いていた。

翌年四月私めはポラン広場北海道の代表と共同仕入れセンター(有)HAVE札幌市場の社長と流通企画委員長と丁稚という四つの肩書きを付けてポラン広場全国総会の壇上で夢ごこちで立っていたのだった。

……そして、今私は丁稚の肩書きをなでなでポラン広場の八百屋「らる畑」で掃除をしている。
今でも蕎麦屋の下駄箱にきちんと並んだキャラバンシューズと履き古した草履が目に浮かぶ。


※ブラキストン線 … 動植物の分布境界線の一つ。本州と北海道の間にある津軽海峡を東西に横切る生物地理上の境界線であり、「津軽海峡線」ともいう。「渡瀬線」などとともに、日本の動植物の分布を区分する重要な境界線。
この線を北限とするのがツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンザル、ライチョウ、ヤマドリ、アオゲラ、モグラ科などである。
又、この線を南限とするのがヒグマ、エゾシカ、ナキウサギ、エゾシマリス、ミユビゲラ、ヤマゲラ、シマフクロウなどである。
これらのことから津軽海峡に動植物分布の境界線があるとみて、イギリスの動物学者のT. W. ブラキストン(Thomas Blakiston 1832〜1891)が提唱したことから命名された。
その他、現在でも北海道の地方の一般家庭ではゴキブリがほとんど見かけられないと言われている事情から、かってはゴキブリもブラキストン線を境界に北海道に棲息していないと言われていた。
参考 : フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」他