時、一千九百二十年代、六月三十日夜、
処<ところ>、イーハトヴ地方、
人物、 キュステ 博物局十六等官
ファゼロ ファリーズ小学校生徒
山猫<やまねこ>博士
牧者
葡萄<ぶだう>園農夫
衣裳<いしやう>係
オーケストラ指揮者
弦楽手
鼓器楽手
給仕
其他 曠原<くわうげん>紳士、村の娘 大勢、
ベル、
人数の歓声、Hacienda, the society Tango のレコード、オーケストラ演奏、甲虫の翅音<はおと>、
幕あく。
舞台は、中央より少し右手に、赤楊<はん>の木二本、電燈やモールで美しく飾られる。
その左に小さな演壇、
右手にオーケストラバンド、指揮者と楽手二名だけ見える。そのこっち側 右手前列に 白布をかけた卓子<テーブル>と椅子<いす>、給仕が立ち、山猫博士がコップをなめながら腰掛けて見てゐる。
曠原紳士、村の娘たち、牧者、葡萄園農夫等 円舞。
衣裳係は六七着の上着を右手にかけて、後向きに左手を徘徊<はいくわい>して新らしい参加者を待つ。
背景はまっくろな夜の野原と空、空にはしらしらと銀河が亘<わた>ってゐる。
すべてしろつめくさのいちめんに咲いた野原のまん中の心持、
円舞終る。コンフェットー。歓声。甲虫の羽音が一そう高くなる。衣裳係暗<やみ>をすかし見て左手から退場。
みんなせはしくコップをとる、給仕酒を注<つ>いでまはる。山猫博士ばかり残る。
山猫博士(立ち上がりながら)「おいおい、給仕、なぜおれには酒を注がんか。」
給仕(周章<あわ>てて来る)「はいはい、相済みません。座っておいでだったもんですからつい。」
山猫博士「座っておいでになっても立っておいでになっても我輩は我輩ぢゃないか。おっと、よろしい。諸君は乾杯しようといふんだな。よしよし、ブ、ブ、ブロージット。」
乾杯。山猫博士首を動かしながら歩き廻る。
ファゼロ続いてキュステ登場。
ファゼロ「あ、山猫博士も来てゐるよ。」
キュステ「あれかい、山猫博士といふのは何だい。」
ファゼロ「あの人は山へ行って山猫を釣って来て、ならしてアメリカに売る商売なんだ。こはいさうだよ。」
田園紳士一、山猫博士と握手する。
「いや、今晩は。先日は失礼いたしました。」
山猫博士「どうです。カンヤヒャウ問題もいよいよ落着ですな。」
紳士「えゝ、どうも大へん不利なことになりました。」
(紳士云<い>ひながらガラスのコップを二つ取ってファゼロとキュステに渡す。
紳士教師のコップに藁酒<わらざけ>をつぐ。)
「あなたには何をあげませう。」
キュステ「さうだね、葡萄水<ぶだうすゐ>をおくれ。」
給仕「さうですか、坊ちゃんも。」
ファゼロ「うん。」給仕注<つ>ぐ。
(山猫博士、紳士と盃<はい>を合せ、酒をなめ横眼で二人を見ながら云ふ)「どうも水を飲むやつらが来ると広場も少ししらぱっくれるね。」
紳士四「えゝ、何せまだ子供ですから。それにそちらはたぶんカトリックの信者でいらっしゃいますから。」
山猫博士「あゝ、カトリックですか。私も祖父がきついカトリックでしたがね。どうもいかんね、カトリックは。おい注いでくれ。」
(オーケストラはじまる。)
山猫博士「おいおいそいつでなしにキャッツホヰスカアといふやつをやってもらひたいな。」
楽長「冗談ぢゃない、猫のダンスなんて。」
山猫博士「やれ、やれ、やらんか。」
(オーケストラはじまる)
みんなコップをおいて踊る。キュステも入る。山猫博士、調子はづれの声でオーケストラに合せながら、みんなの間を邪魔するやうに歩きまはる。猫の声の時はねあがる。近くのものにげる。ファゼロ立って口笛を吹く。衣裳係、帰って来る。キュステの脚絆<きやはん>解ける。誰<たれ>かが云ふ。
「もしもし脚絆が解けましたよ。」
(キュステ列を離れる。衣裳係が走って行ってそれを巻きながら云ふ。)
「どうも困りますぜ、こんな工合<ぐあい>ぢゃ。それでも衣裳の整はないのがあっちゃ、こっちの失態ですしね。えゝ、どうもこんなこっちゃ困りますぜ。」
(曲変る。みんな踊りをやめる。コンフェットウをなげるもの、盃をあげるもの。)
牧者(一歩出る)「レディスアン、ゼントルメン、わたくしが一つ唱<うた>ひます。えゝと、楽長さん。フローゼントリーのふしを一つねがひませんかな。」
指揮者「フローゼントリーなんてそんな古くさいもの知りませんな。」
楽手たち「そんなもの古くさいな。」
牧者「困ったなあ。」
鼓器楽手「わたしは知ってますがね、どうも鼓器だけぢゃ仕方ないでせう。」
牧者「あゝ、沢山です。ではどうか鉦鼓<かね>でリズムだけとって下さいませんか。」
鼓器楽手「リズムといってたゞかうですよ。」
(鳴らす。みんな笑ふ)
牧者「あゝそれで結構です。(唱<うた>ふ)
けさの六時ころ ワルトラワラの
峠をわたしが 越えやうとしたら
朝霧がそのときに ちゃうど消えかけて
一本の栗<くり>の木は 後光を出してゐた、
わたしはいたゞきの石にこしかけて
朝めしの堅パンを噛<か>じりはじめたら
その栗の木がにはかに ゆすれだして
降りてきたのは 二疋<ひき>の電気栗鼠<りす>
わたしは急いで……… 。」
山猫博士「おいおい間違っちゃいかんよ。」
牧者「何だって。」
山猫博士「今朝ワルトラワラの峠に、電気栗鼠の居た筈<はず>はない。それはカマイタチの間違ひだらう。も少し精密に観察して貰<もら>ひたいね。」
牧者「さうでしたか。」(首をちゞめてみんなの中に入る。)
山猫博士「今度は僕がうたふよ。
つめくさの花の 咲く晩に
ポランの広場の 夏まつり
ポランの広場の 夏のまつり
酒を呑<の>まずに 水を呑む
そんなやつらが でかけて来ると
ポランの広場も 朝になる
ポランの広場も 白ぱっくれる。」
(みんな気の毒さうに二人の方を見る。)
キュステ「おい、ファゼロ、もう行かう。」
ファゼロ(泣きだしさうになりながら演壇にのぼり、唱ふ)
「つめくさの花の かをる夜は
ポランの広場の 夏まつり
ポランの広場の 夏のまつり
酒くせのわるい 山猫が
黄いろのシャツで出かけてくると
ポランの広場に 雨がふる
ポランの広場に 雨が落ちる」
山猫博士(憤然として)「何だ失敬な。決闘をしろ。決闘を。」
キュステ「馬鹿<ばか>を言へ。貴さまがさきに悪口を言って置いて、こんな子供に決闘だなんてあるもんか。おれが相手になってやらう。」
山猫博士「へん、貴さまの出る幕ぢゃない。引っ込んでゐろ。こいつが我輩を侮辱したから我輩はこいつへ決闘を申し込んだのだ。」
キュステ(ファゼロをうしろにかばふ。)「いゝや、貴さまはおれの悪口を言ったのだ。おれは貴さまに決闘を申し込むのだ。全体きさまはさっきから見てゐると、さもきさま一人の野原のやうに威張り返ってゐる、さあピストルか刀かどっちかを選べ。」
山猫博士(たぢろいで酒を一杯のむ。)「黙れ、きさまは決闘の法式も知らんな。」
キュステ「よし、酒を呑まなけぁ物を言へないやうな、そんな卑怯<ひけふ>なやつの相手は子供でたくさんだ。おい、ファゼロ、しっかりやれ。こんなやつは野原の松毛虫だ。おれが介添をやらう。めちゃくちゃにぶん撲<なぐ>ってしまへ。」
山猫博士「よし、おい、誰<たれ>かおれの介添人になれ。」
田園紳士二「まあまあ、あんな子供のことですからどうか大目に見てやって下さい。今夜はたのしい夏まつりの晩ですから。」
山猫博士(なぐりつける。)「やかましい。そんなことはわかってゐる。黙って居<を>れ。おい、誰かおれの介添をしろ。おい、ミラアきさまやれ。」
葡萄園農夫「おいらあやだよ。」
山猫博士「臆病者、おい、ケルン、きさまやれ。」
田園紳士三「おいらぁやだよ。」
山猫博士「おいてめいやれ。」
田園紳士四「おいらぁやだよ。」
山猫博士「よし介添人などいらない。さあ仕度しろ。」
キュステ「きさまも仕度しろ。」(ファゼロに仕度させる)
山猫博士「剣かピストルかどっちかをえらべ。」
キュステ「どっちでもきさまのいゝ方をとれ。」
山猫博士「よし、おい給仕、剣を二本持って来い。」
給仕「こんな野原剣がありません。ナイフでいけませんか。」
山猫博士「ナイフでいゝ。」
給仕「承知しました。」(退場、洋食用のナイフを二本持って来て、渡す。)
山猫博士「さあどっちでもいゝ方をとれ。」
ファゼロ(一本をとり一本を山猫博士に投げて渡す。)
山猫博士「さあ来い。」
キュステ「よし、ファゼロ、さあしっかりやれ。」
(闘ふ、ファゼロ山猫博士の胸をつく。山猫博士、周章してかけまはる。)
「おいおい、やられたよ。誰<たれ>か沃度<ヨード>ホルムがないか。過酸化水素をもってゐないか。誰かないか。やられたよ。やられた。」(気絶する)
キュステ「よくいろいろの薬の名を知ってやがるな。なあに 傷もつけぁしないよ。」
牧夫「水をかけてやらう。」(如露で顔に水をそゝぐ。)
山猫博士(起きあがる)「あゝ、こゝは地獄かね、おや、ポランの広場へ逆戻りか。いや、こいつはいけない。えゝと、レデース アンヂェントルメン、諸君の忠告によって僕は退場します。さよなら。」(すばやく退場、みんなひどく笑ふ。拍手、コンフェットウ、)
葡萄園農夫(演壇に立つ。)「諸君、黄いろなシャッツを着た山猫釣りの野郎は、正にしっぽをまいて遁<に>げて行った。つめくさの花がともす小さなあかりはいよいよ数を増しそのかをりは空気いっぱいだ。見たまへ。天の川はおれはよくは知らないが、何でもxといふ字の形になってしらじらとそらにかかってゐる。かぶとむしやびろうどこがねは列になってぶんぶんその下をまはってゐる。愉快な愉快な夏のまつりだ。誰ももう今夜はくらしのことや、誰が誰よりもどうだといふやうな、そんなみっともないことは考へるな。おゝ、おれたちはこの夜一ばん、東から勇ましいオリオン星座がのぼるまで、このつめくさのあかり照らされ、銀河の微光に洗はれながら、愉快に歌ひあかさうぢゃないか。黄いろな藁<わら>の酒は尽きようが、もっときれいなすきとほった露は一ばんそらから降りてくる。おゝ娘たち、(町の人形どものやうに、手数を食った馬鹿<ばか>げた着物を着ないでも、)お前たちはひときれの白い切<きれ>をかぶれば、あとは葡萄いろの宵やみや銀河から来る鈍い水銀、さまざまの木の黒い影やらがひとりでにおまへたちを飾るのだ。
あゝ、山猫の云ひぐさではないが、
ポランの広場の夏まつり
ポランの広場の夏まつり とかうだ。」
(壇を下る、拍手、歓声、オーケストラ、〔数字分空白〕を奏する。円舞はじまる。
幕)
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