わたしたちが無尽蔵にあるとおもって、使いまくっている石油にしても、大昔の植物が固定してくれた太陽のエネルギーです。
今、わたしたちは大昔に土に埋もれてしまった、太陽エネルギーの缶詰を、あちこちから掘り出しては、使っているのです。石炭もおなじことです。現代科学文明が、これほどまでに発達したのは、太陽エネルギーの缶詰を利用できたからに他なりません。しかし、いずれ缶詰は底をつきます。そうなるまえに、もっと有効にゆっくり使うことを考えなければなりません。今、世界中でおこっている環境問題の原点は、太陽エネルギーの缶詰を、浪費することからはじまっているのでしょう。
現代農業は、化学肥料・農薬・耕作機械すべてが、缶詰のおかげでまかなわれているといっても過言ではありません。ひどいことに、作物が固定してくれる太陽エネルギーの量よりも、たくさんのエネルギーをつかっているのです。
有機農業がめざしているのは、エネルギーの缶詰をできるだけ使わずに、太陽のエネルギーだけを出発点とし、食物を生産してゆこうするところにあります。
それはけっして江戸時代に戻れとか、手間のかかる堆肥をつくれとか、ということにつながるものではないのです。そうではなく、篤農家の知恵と技術を、うまくくみこんで、できるだけにエネルギーを無駄使いせずに、効率のよい農業生産をやってゆこうではないかという、あたらしい生き方ではないでしょうか。
有機農業の世界には、病原菌とか害虫、雑草といった言葉はありません。これらの言葉は、作物を害する生物に、人間が勝手につけたのです。そうなるような方法しか、現代農業はできなかったのです。そうではなくて、害虫をタダの虫にする。病原菌をフツーのカビにする。タダの草にするという発想の転換が必要なのです。
森をみてください。自然なかでは、病原菌や害虫、雑草がいるでしょうか。みんながお互いをみとめて,いっしょに生きているではありませんか。え?マツクイムシはどうなるのだって?もし、マツクイムシが日本中の松を食い殺したら、マツクイムシもおしまいです。だから、マツクイムシはけっして、松を全滅させたりはしません。生物は、人間のように残酷ではありませんから、「ぶっ殺してやる!」などという野蛮なことはしないのです。なぜなら「満腹したオオカミは人間を襲わない」からです。満腹しているのに、遊びでほかの生物を殺すのは人間だけです。おまけに同士討ちまでするし、どうやって大量にぶっ殺すかの兵器開発にいっしょうけんめいなのも人間だけです。
地球上のすべての生物には、生きている意味と意義があるのです。そして、生物の世界には無駄はありません。そのことを十分に理解し、人間も生かされているのだという謙虚さを学び、すべての生物とともに共存するという生き方をも身につける実践の場所が、有機農業だとわたしはおもいます。
英語の「Organic」の意味は、決して有機物だけを指すのではなく、地球上のすべてがお互いにつながり、連携しあっているのだということではないでしょうか。
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